夕凪の街 桜の国
本日シネマDayは、

『夕凪の街 桜の国』
広島原爆投下から10年後を生きる女性「皆実」と現代を生きる皆実の姪「七波」、
二人の女性を通して現在に至る原爆の影響を描いたお話です。
前半は「皆実」(麻生久美子)を中心にお話が進む『夕凪の街』
昭和33年、原爆で父と妹を失い、原爆から生き残った罪悪感から、オシャレをすることも、恋をすることも自分はしてはいけないことだと思いながら、母と二人13年間を生きてきた皆実。そんな皆実は、思いを寄せる同僚打越の一言により罪悪感から解き放たれる。
「生きとってくれて、ありがとう」
後半は、「七波」(田中麗奈)を中心にお話が進む『桜の国』
平成19年、家族で内緒に出かける父(皆実の弟)の後をつけ広島へと行き着いた七波は、広島で祖母や伯母皆実の残した想いや家族のルーツを見つめなおしていく。
どちらの時代も何気ない穏やかな日常生活から、原爆の恐ろしさ、悲しさが重く描かれ、平和の大切さがしみ込んでくる映画でした。エンドロールが流れ始めて、さらに胸がジーンときて、終わった後もしばらく席をたてませんでした。他のお客さんもそんなかんじでした。
とてもいい映画でした。ぜひぜひたくさんの方に観ていただき、平和について考えていただきたいです。
広島の街もたくさんでてきます。うちのすぐそこもね。
「夕凪の街」の登場人物の名前は広島の町の名前なんですよ~。
ちっ、私の住む町の名は登場せんかったわ。
今日は少しでも早くこの映画のことを知ってもらいたかったので、
コメントのお返事より先に書いてしまいました。失礼をお詫びします。


『夕凪の街 桜の国』
広島原爆投下から10年後を生きる女性「皆実」と現代を生きる皆実の姪「七波」、
二人の女性を通して現在に至る原爆の影響を描いたお話です。
前半は「皆実」(麻生久美子)を中心にお話が進む『夕凪の街』
昭和33年、原爆で父と妹を失い、原爆から生き残った罪悪感から、オシャレをすることも、恋をすることも自分はしてはいけないことだと思いながら、母と二人13年間を生きてきた皆実。そんな皆実は、思いを寄せる同僚打越の一言により罪悪感から解き放たれる。
「生きとってくれて、ありがとう」
後半は、「七波」(田中麗奈)を中心にお話が進む『桜の国』
平成19年、家族で内緒に出かける父(皆実の弟)の後をつけ広島へと行き着いた七波は、広島で祖母や伯母皆実の残した想いや家族のルーツを見つめなおしていく。
どちらの時代も何気ない穏やかな日常生活から、原爆の恐ろしさ、悲しさが重く描かれ、平和の大切さがしみ込んでくる映画でした。エンドロールが流れ始めて、さらに胸がジーンときて、終わった後もしばらく席をたてませんでした。他のお客さんもそんなかんじでした。
とてもいい映画でした。ぜひぜひたくさんの方に観ていただき、平和について考えていただきたいです。
広島の街もたくさんでてきます。うちのすぐそこもね。
「夕凪の街」の登場人物の名前は広島の町の名前なんですよ~。
ちっ、私の住む町の名は登場せんかったわ。
今日は少しでも早くこの映画のことを知ってもらいたかったので、
コメントのお返事より先に書いてしまいました。失礼をお詫びします。
私は広島で生まれ、育ちました。
恐らくどの街で生まれ育った人たちよりも平和について学んだと思います。原爆の体験談もたくさん聞きました。しかし、それは、学校での平和教育の中でしか聞いたことがありません。身近な人の中から、直接聞くことはめったにありません。誰もあの日のことは話さない、いえ、話せないのだと思います。思い出すにはあまりにも辛く苦しいことだから。私の祖母も当時二十歳前後ですから、覚えているはずなのに、祖母の口からあの日の話が出たことはありません。
身近な方から聞いたことが一度だけありました。
私の茶道の先生です。先生は、爆心地から3kmほど先にご自宅がありました。当然家は全壊。先生と先生のお父様は助かったのですが、お母様と妹さんが家の下敷きになったそうです。何とか助け出そうとしたのですが、火の手が回りはじめ、泣く泣く二人をおいて逃げました。お父様もその後すぐに原爆の後遺症で亡くなられました。先生はたった一人残されて、親戚の家を転々としながら辛い目にもあいながら生きてきたそうです。先生は、いまだに8月6日の日に街に出ることができないとおっしゃいます。そして、いまでもお母様と妹さんを残してしまったことを後悔していらっしゃいます。
原爆は、その瞬間何十万人もの命を奪うだけでなく、それから何十年も体の後遺症や心の悲しみに悩まされ、そして、その子供達にまで不安を残すものです。
劇中で皆実の弟が皆実に言います。
「なんで広島なんじゃろう?なんで、広島に落ちたんじゃろう?」
それに皆実は答えます。
「違うよ。落ちたんじゃないよ、落とされたんよ」
平和公園の平和記念碑にはこう刻まれています。
「安らかにお眠りください
過ちは繰返しませぬから」
もうすぐ62回目のあの日がやってきます。
8月6日8時15分
過ちが繰り返されないよう、せめてこの日だけでも平和について考えてみませんか?
恐らくどの街で生まれ育った人たちよりも平和について学んだと思います。原爆の体験談もたくさん聞きました。しかし、それは、学校での平和教育の中でしか聞いたことがありません。身近な人の中から、直接聞くことはめったにありません。誰もあの日のことは話さない、いえ、話せないのだと思います。思い出すにはあまりにも辛く苦しいことだから。私の祖母も当時二十歳前後ですから、覚えているはずなのに、祖母の口からあの日の話が出たことはありません。
身近な方から聞いたことが一度だけありました。
私の茶道の先生です。先生は、爆心地から3kmほど先にご自宅がありました。当然家は全壊。先生と先生のお父様は助かったのですが、お母様と妹さんが家の下敷きになったそうです。何とか助け出そうとしたのですが、火の手が回りはじめ、泣く泣く二人をおいて逃げました。お父様もその後すぐに原爆の後遺症で亡くなられました。先生はたった一人残されて、親戚の家を転々としながら辛い目にもあいながら生きてきたそうです。先生は、いまだに8月6日の日に街に出ることができないとおっしゃいます。そして、いまでもお母様と妹さんを残してしまったことを後悔していらっしゃいます。
原爆は、その瞬間何十万人もの命を奪うだけでなく、それから何十年も体の後遺症や心の悲しみに悩まされ、そして、その子供達にまで不安を残すものです。
劇中で皆実の弟が皆実に言います。
「なんで広島なんじゃろう?なんで、広島に落ちたんじゃろう?」
それに皆実は答えます。
「違うよ。落ちたんじゃないよ、落とされたんよ」
平和公園の平和記念碑にはこう刻まれています。
「安らかにお眠りください
過ちは繰返しませぬから」
もうすぐ62回目のあの日がやってきます。
8月6日8時15分
過ちが繰り返されないよう、せめてこの日だけでも平和について考えてみませんか?